鈴木孝紀

2019年6月6日5 分

神が私たちの内におられる(2019.5/18栃木EMFにて)

みなさん、こんにちは。4月に新しい年度が始まり、5月に入って新しい元号「令和」へと変わりました。色々と変わったなと思っていましたが、よくよく考えると2019年になって4ヶ月が過ぎ、新年まで残り3分の2を切っています。
 

 
さて、そんな皆さんに質問です。みなさんは、新年に立てた抱負や目標を覚えているでしょうか。栃木EMFの目標は、「神の家族として互いに愛し合うこと」です。今日の聖書箇所後半にも出てきますので、一緒にみ言葉を見ていきましょう。

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私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(1ヨハネ4:16-21)

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1.まず神が私たちを愛した
 

 
この手紙の著者である使徒ヨハネは、12弟子の中で最も長く生きた人物です。彼の兄ヤコブは、ヘロデ・アグリッパ1世によって処刑された最初の殉教者で、他の弟子たちも殉教しましたが、ヨハネだけが殉教せずに生涯を全うしたと言われています。

そんな使徒ヨハネが今回の箇所で強調していることは、16節「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。」、また19節「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」ということです。
 

 
彼は、前の9-10節でも「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛がある」と言いました。
 

 
神であるイエス・キリストを、私たち人間の罪のために、なだめの供え物として捧げた。まず神様がそのような形で愛を示したからこそ、それを信じる私たちは神様を愛して生きて行きたい。そのような思いが、心から湧いてくるわけです。

2.兄弟を愛しなさい
 

 
さて、ヨハネはこの手紙の中で何度も繰り返している言葉があります。その1つが、21節「神を愛する者は、兄弟をも愛すべき」です。彼は、神の兄弟を愛することについて非常に明白なことを語りました。20節「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」ヨハネは、神様を愛するということを、抽象的な、ぼんやりとした物とは考えてはいませんでした。目に見えない神様を愛するというのは、目に見える兄弟を愛することと同じである、と考えていたのです。

これは、使徒ヨハネ独自の考えではありません。イエス様自身も、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」を最も大切な命令として挙げました。パウロも「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ローマ12:10)」と語り、ペテロも「あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。(1ペテロ3:8)」と語っています。このように、神の兄弟を愛するというのは神様が望んでいることであり、初代教会の人々もこれに倣っていました。

3.全き愛によって
 

 
神様が私たち人間を愛したその愛は、「全き愛」でした。全き、というのは完全で欠けたところがない、という意味です。もし私たちが、自分の内側からこの「全き愛」を見つけ出そうとすれば、途端に「あれ、私の内側にはあるのだろうか。」といった不安を覚えるでしょう。そして事実、私たちの内側をどれだけ探したとしても「全き愛」を見つけ出すことはできません。
 

 
しかし私たちは、神様が示した私たちに対する全き愛を知っています。本来その罪ゆえに裁かれ滅ぼされるしかなかった私たちを、救い出した神の愛こそ全き愛、完全で欠けのない愛です。

私たちの内側に本来、全き愛はありませんでした。しかし、その愛を信じ、神の家族とされている今、私たちは全き愛で愛し合うことを求めましょう。神様が私たちを愛したように、私たちも互いに愛し合う。使徒ヨハネは、21節「私たちはこの命令をキリストから受けています。」と言いました。現代の私たちも、この命令を神の愛によって救われた者として生きていきましょう。

5月栃木EMFは自治医大前キリスト教会での開催でした。会場をお貸しくださった自治医大前キリスト教会の皆さんありがとうございました。

自治医大前キリスト教会(日本福音キリスト教会 連合/JECA)

執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀

1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生
 

 
宇都宮大学生1年次に信仰を持つ

宇都宮大学 工学部情報工学科卒
 

 
関西聖書学院卒

現在、峰町キリスト教会牧師

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