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  • 鈴木孝紀

「この世でのクリスチャン」(2020/7/25活動にて)

みなさんこんにちは。峰町キリスト教会の鈴木です。

 自身のアイデンティティ(自己同一性:自分が何者であるか)を把握することは、その人の生き方に影響を与えます。私たちが自分をどのように理解しているのか、で私たちの生き方は変わります。

 聖書は私たちクリスチャンの立場を「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(1ペテロ2:9)と呼んでいます。イエス・キリストを信じたことによって永遠のいのちが与えられ、1ペテロ2:9で言われている立場が与えられました。

 今日の箇所から3章12節まで、ペテロは異邦人社会に生きるクリスチャンの原則と適用を語りました。適用の内容は「主権者(王や政治的トップなど)との関係」や「主人としもべの関係」、「夫婦の関係」、「クリスチャン同士の関係」と多岐に渡ります。

 そんな多くの適用に先んじて、11-12節では「異邦人社会での原則」が触れられました。それでは今日の箇所を見ていきましょう。



愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。(1ペテロ2:11-12)

11節「愛する者たちよ。あなた方にお勧めします。」とペテロは人々に語り始めます。ペテロにとってこの手紙を読む人々は愛している存在でした。そのような存在が、異邦人社会において悪意に晒されている。そのことを知ったペテロは、彼らに「このようにしなさい」とお勧め(ガイドライン)を提示しました。

 ペテロのお勧めした「異邦人社会での原則」は2つになります。

1つ目は「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」です。肉の欲とは、罪の性質から生み出される欲求や行動を指しています。ガラテヤ5章19-21節では「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」と説明されました。

 こういったものを遠ざける理由は、クリスチャンがこの世において「旅人であり寄留者」だからです。法律やルール、文化や習慣というものは国や地域によって異なります。一方では推奨されている事が、他方ではタブーであることもままあります。それは「この世」と「神の国」でも同様です。

 私たちは神の国の「聖なる国民」となったわけですから、この世においては旅人・寄留者という立場になります。ヘブル11章13節でも信仰の先人であるアブラハムたちを指して「これらの人々はみな、……、地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」と語っています。

 「私たちの国籍は天」(ピリピ3:20)にあるわけですから、神が良しされることに励み、また良しとされないことを意識して避ける必要があります。それが「肉の欲を遠ざけなさい」という原則の意味です。

2つ目は「りっぱにふるまいなさい」という原則です。

 この手紙を読む人々は、いわれもない悪行や風評によって迫害を受けていた人々でした。クリスチャンがありもしない事で非難されるのであれば、もし素行が不良だったら更に非難の嵐に晒される事になります。

 ここで強調されているのは、「善を行うことを求め続けなさい」ということです。たとえ悪意や非難に晒されたとしても善行をやめない。「報われないからもう善行はやめます」と諦めるのではなく、また「クリスチャンは自由なのだから何をしたって良い。」と身勝手になるのでもなく、まだ神を信じていない人々でさえも「それは良いことです」と認めることを行うようペテロは求めました。



12節にあるように、現時点では何かにつけて「クリスチャンは悪人である」と言う人でさえも、悔い改めて神をほめたたえるようになる可能性があります。クリスチャンの生きている姿を通して神様は自身の栄光を現し、まだ信じていない人々を救いに招き入れます。

 今日は異邦人社会における2つの原則を見てきました。

この原則が様々な形で私たちの人生に適用されますように。置かれている状況は異なっても、神様が望んでいることは全員に対して共通です。神様から知恵が与えられ、信じていない人々の中でりっぱな歩みができるようにお祈りしています。

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