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2022/9/17 栃木EMF「主を恐れることは知識の初め。」箴言1:7a

9月活動では栃木EMFメンバーの姉妹に証をしてただきました。Yさんの証を皆さんともお分ちしたいと思います。


「主を恐れることは知識の初め。」箴言1:7a


大学受験、進級試験、卒業試験、国家試験、「試験」と名がつくものに突き当たるたび、自分の集中力や記憶力のなさ、継続性のなさ、周囲との能力差に劣等感を抱き続けてきました。一般的な励まし・格言としては「努力は裏切らない」「不安を克服できるまで努力しよう」といったものがあり、それを実践して、日々の勉強から自信と実力をつけていく友人たちは、もちろん、彼らにも不安や葛藤はあったと思いますが、私には眩しく見えて、神様はどうして私を優秀な人材に作ってくれなかったのかと恨めしく思いました(残念ながら、今でもそういう感情が湧くことはよくあります)。私は実際の成績も本当に惨めだったので、頼りにできるのは聖書の約束だけでした。それほど頼りにして握っているはずの聖書の言葉なのに、主イエス・キリストの父なる神様が折に触れてみことばを通して力付けてくださるのに、もう十何年も同じようなところでぐるぐる思い悩んでしまう者です。




聖書の約束は、この通りです。

“今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。"

マタイの福音書 6章30~34節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会




私は約束を忘れて思い悩んでしまう不忠実な者であるにもかかわらず、神様はこの通りに約束を守ってくださいました。一つ一つの壁を乗り越えさせてくださり、今は自分が希望した施設で、素晴らしい指導医や仲間に囲まれて専門診療科の研修ができていることを感謝しています。


現在、医学的知識の習得とその実践、論理的思考の訓練を受けており、「知識があることが大前提・必須」「知識はあればあるほど良い、そのほうが良い・正しい診療ができる」という価値観かつ、知らなくてもその場で調べたり周囲に相談できるとはいえ、すぐに知識を取り出せなければ役に立たないことが多く、ひたすら知識の習得に向かって走り続けています。ところが、知識量と医師としての能力が比例するように扱われ、その結果として知識や経験の量で決まるパワーピラミッドが、もちろん知識や経験のある者がない者をサポートするという妥当性はあるものの、どこかぎこちなくみえることもあり、コミュニケーションが双方向というよりは一方向になりがちな場に閉塞感を感じるようになりました。誰もが、患者さんの益を追求して、正しいことに向かって、正しい動機で知識の習得と実践に励んでいるはずなのに、なぜ、知識や経験の量がパワーバランスを生み出し、そのアンバランスが互いへの信頼やコミュニケーションまで損なってしまうのか。



そうした疑問から気づいたのは、聖書がいう「知恵・知識」は、我々が思っている知恵・知識とまるで違うということです。とりわけ旧約聖書の箴言には、知恵を重んじ知恵を追い求めるように勧める言葉が溢れています。しかし、聖書がいう「知恵」はあくまで神様からくるもので、神様ご自身について知る知恵・知識と、神様の目線でこの世界を捉え、理解し、神様の正しさや愛をこの地上で示すためにどう振る舞うべきかを教えてくれるものなのです。箴言を読むと、知識や知恵が増えるほど、柔和でへりくだった、周囲を愛し敬って仕えていく者になっていくように描かれています。それが「知恵ある者」の姿であるならば、仮に患者さんの益を追求して知識を習得したとしても、その結果として、たとえ悪意がなくとも、知識ある者が知識ない者のプライドを傷つけるように振る舞うのは、本来の「知恵ある者」とは程遠いのだと思いました。箴言を読んで、知恵が増すほどに、より慎重にへりくだって言葉や態度を選ぶ必要があるとわかりました。



自分自身、勉強して知識がつけば自信になり、それを実践してうまく行った時の喜びは何にも代えがたく、もっと勉強したいという意欲につながります。一方で、自分に実力と自信をつけるためだけに学ぶのではなく、何よりも神の言葉である聖書に学び、神様から知恵を頂いて、知恵や知識にまさって、柔和でへりくだった者に作りかえられていくような道を選びたいと思いました。患者さんの益を追求し、患者さんに害を成さないために最善を尽くして学んだ上で、知識を増し加えることで自分の正当性を主張するのではなく、相手の良さを引き出し、チームとして一体感を持って働くための知恵を神様から頂きたいです。

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