<ピリピ1:1〜11>
この記事を読んでくださっている皆さんこんにちは。
峰町キリスト教会で牧師をしています大角詩音と申します。
これから何回かのシリーズでピリピ人への手紙の恵みを皆さんと分かち合っていきたいと考えています。お付き合いいただければ幸いです。
さてはじめに1人の方の話から始めていきたいと思います。 1800年代のアメリカ人作家にマーク・トゥエインという人がいました。彼は講演や小説を通して世界に笑いを提供し、少しの間でも人々に悩みを忘れさせた人です。彼はユーモアセンスがあふれる人ではありましたが、彼の人生は生涯悲しみを持ち続けた人でもありました。彼の末娘のジーンが急死した時に、彼は友人にこう言ったそうです。「私には死者ほど羨ましいものはないよ。いつも死者を羨ましく思っているんだ」人々には笑顔を提供しても、彼自身には喜びがなかったのです。
イエス様を信じる者にはこのような約束があります。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(ヨハネ16:11)
イエス様は悲しみも知っておられましたが、イエス様の近くには喜びがあります。どれほどの失敗をしたとしても受け入れられるという確信。最後には天国に行ける安心。クリスチャンの特権の一つは、‘どんな時でも喜びながら生きる’ことができることです。けれども、実際には喜びがないクリスチャンライフを送ってしまうことがあります。クリスチャンであるから、喜びしかないというのは嘘です。今回はピリピ人の手紙から聖書の教える‘喜び’について考えてみましょう。
1. パウロの喜び
先程お読みいただいた箇所は、ピリピ人への手紙の冒頭部分にあたります。ピリピ人への手紙、そこまで長くない手紙です。私の書く手紙に比べれば大変長いですが。この手紙をし、タイトルをつけるならば、それは”喜びの手紙”であるといえます。このシリーズでは、ピリピ人への手紙を順番に少しずつ読んでいきたいと思います。この手紙を通して、聖書が教えている喜びにあふれた人生の秘訣を少しずつ学んでいきましょう。 聖書を順番に説教していくことを講解説教と言います。ある知人の牧師は、講解説教の難しさを例えて、「講解説教は後悔する説教だ」と言いました。聖書の中にある難しい言葉、厳しい言葉でも避けて通れないからです。しかし、私はこのシリーズの中で皆さんと共に後悔するのではなく、共にみことばの深さを学んでいればと思っています。 今回は、この講解を始めるにあたり、ピリピ人への手紙がどのような手紙であるか、どのような状況で書かれたのかということを確認して、そこから聖書が教える‘喜び’について考えてみたいと思います。
執筆者パウロ
ピリピ人への手紙は、ピリピと呼ばれるマケドニア地方の主要都市であった町にある教会に向けて書かれた手紙です。この手紙はパウロと呼ばれる人物が書きました。彼は新約聖書中、13冊の書簡を書いています。聖書の中で「〜手紙」と題される大半はパウロによって書かれています。彼は「異邦人の使徒」と呼ばれ、ユダヤ人以外の人々にイエス様を伝えた人です。3回の伝道旅行によって多くの教会を世界中に生み出しました。
ピリピ教会も、パウロによって建てられた教会の一つです。その様子は使徒働き16章の中に書かれています。少ない人数で始まった教会ですが、非常に良い教会であったと言われています。それは、他の手紙では教会に対して「この部分を直しなさい」とパウロは語っていることが多いのですが、ピリピ教会に関しては厳しい口調の部分が少なく賞賛されていることからも分かります。 パウロとピリピ教会は良い関係にありました。しかし、この手紙は暑中見舞のような、年賀状のような季節の挨拶として書かれたわけではありません。手紙には書かれた背景があります。パウロは晩年にはイエス様を宣教することを罪に問われ投獄され、ローマで軟禁状態となってしまい、その折獄中にて手紙を書きました。ピリピ人への手紙を含めて、エペソ、ピリピ、コロサイは”獄中書簡”と呼ばれています。この手紙はAD61~3年頃に書かれたと考えられています。 この手紙を送る前に、パウロが軟禁状態にあると聞いたピリピ教会の聖従たちは、エパフロデという人に援助金を持たせてパウロの元に助けを出します。このことへの感謝がこの手紙の中心となっています。「よくぞ、ピリピからエパフロデを送り出し、援助金で私の働きを助けてくれた」と。しかし、内容は感謝だけでなく、幾つかのことを教えようとしています。その中心が「喜び」を教えようとしているのです。 この全4章の短い手紙の中では、「喜び、あるいは喜ぶ」という単語が19回も登場しています。極め付けは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4:4)です。ですから、「喜びの手紙」とさえ呼ばれているのです。けれども、何度も喜びなさいというパウロ自身は喜べる状況ではありませんでした。この手紙を執筆した状況では、彼は獄中の中という非常に悪い環境でした。しかし、パウロは「自分が無実の罪で投獄されることを嘆く手紙」を書いているわけではありません。むしろ「投獄された状況を超えて喜ぶ手紙」を書いています。つまり、環境に関わらず喜ぶということをパウロは実践し、教えようとしているのです。 パウロの感謝
今回の箇所でもパウロは牢獄にあるというのに感謝しています。3,4節です。「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」
人は苦境にあると他者のことを考える余裕をなくすものですが、パウロは遠くにあるピリピ教会を思い、感謝し、喜べるのです。なぜ喜ぶのでしょうか? それは、離れていても同じイエス様によって救われ、共に福音宣教のために働くことができているという喜びによってです。特に、それを先ほど登場したエパフロデと彼の運んできた援助金を通して確信したからです。この手紙は、パウロの手紙の中で最も人情味あふれる温かい手紙であると言われています。パウロは他の手紙を見ると厳しい言葉もあり、頑固オヤジとも思える厳しい人物を想像される方も多いです。実際パウロの肖像画は眉間にしわを寄せている表情が多くあります。そのパウロが喜びなさいというのは少し面白いですね。 彼の喜ぶことができた一つの要因。それはピリピ教会との親しい関係でした。『あなたがたに感謝している。本当に、あなたがたは大切な友達だ』と言いたくなる関係性です。彼らにはいつでも喜び合える仲間があったのです。
2. 喜び泥棒に打ち勝つ
次に喜びについて考えてみたいと思います。 大前提として、私たち誰もが喜んで生きていたいと願わされると思います。しかし喜びを保ち続けることは難しいことです。たとえ大きな喜びを持っていたとしても、それを忘れてしまう。別の感情に奪われてしまうことは多々あります。先日私は家族と共に巨人戦を東京ドームにて観戦しました(わが家は大の巨人ファンです!)。対戦相手は広島カープ、試合は巨人が勝つというとても満足のいく結果でした。ですから喜びにあふれて帰りました。東京へは旅行会社の企画していた観戦ツアーで参加しましたので、帰路でもバスの中でイベントがありました。その最後に行われた抽選会が行われました。1人、また1人と当選し賞品を手にするツアー仲間、ですが私の番号は最後まで呼ばれず、抽選に外れてしまい何ももらえなかったのです。すると、私の中にあった勝利の満足と歓喜が消え去り、ムクムクと不平不満の感情が沸き起こりました。先ほどまでは非常に喜んでいたにも関わらずです。
このような体験をした方は私だけではないでしょう。私たちの人生には喜びを与えくれるものもありますが、同時に喜びを奪い去っていくものも多くあります。それを‘喜び泥棒’と言います。どのような泥棒が人生の中にはいるでしょうか? ウォーレン・ワズビーという説教者は4人の泥棒がいると言いました。それが、環境、人々、持ち物、思い煩いです。
喜び泥棒
環境_これは巨人戦もそのひとつですね。勝ったならば喜び、負けてしまえば悲しみ。多くの環境によってわたしのたちの喜びは揺れ動いています。詩人のバイロンは「人は環境にもてあそばれている」と言っています。
人々_これも良く分かるのではないでしょうか?人間関係は私たちにとってかけがえのないものも与えくれますが、同時に怒りも憎しみも与えます。ある心理学者は「人間関係の問題がなくなれば、人間の抱えている問題はほぼ全て解決する」とまで言っています。
持ち物_昔、世界の富の半分を持つ男と呼ばれる人がいました。彼はハワード・ヒューズと言います。彼は欲しいものを何でも手にしました。しかし、彼の晩年は大豪邸の中で一人寂しく、髭も髪も伸び放題の哀れな姿で人知れず亡くなっていきました。持ち物は無くては困ることもあります。けれど、たとえ世界の半分ほどの富を持っていても人は満足することが無いのです。
思い煩い_将来を「このままで大丈夫か」と案じることです。日本のことを考えても、思い煩おうと思えばいくらでも出きます。年金問題、社会保証(医療、社会福祉)、経済危機、中国/アメリカとの関係性、イスラム国はじめとするテロとの戦い、難民問題、、、。そこまで大きな話をしなくても、一ヶ月後のことを正確に見定めることができる人はいません。私のかつての同級生は一週間のうちに2人の親族を亡くしました。 このように、私たちは大量の喜び泥棒の中を生きているのです。中東ではスリが多くいます。なので持ち物を厳重に持つものです。同じように私たちも喜びをしっかりと握りるべきです。これらの泥棒たちにあっても私たちは喜び続けることができます。その土台がキリストです。パウロは「キリストにあって」という言葉をよく使います。イエス様がいるからこそ、そう考えた時に泥棒たちは消え去り、人生の全ては喜びに変わります。 環境も、人々も、持ち物も、将来の展望も全て喜ぶためにも使うこともできるのです。 パウロは獄中という環境にありながらも、日々生かされていること、福音の伝える働きを続けることができていることを喜び続けました。人々も彼にとっては、喜びでした。離れていても互いに祈りによって支え合い、彼らの中にあって救われる人が起こされていることを感謝しています。持ち物に関しても、彼がどれほどの物を持っていたかは分かりませんが、
「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです(新共同)」(ピリピ4:11)
とピリピの後半では言っています。彼は将来に関して思い煩うことはなく、神は素晴らしい計画を私に持っていると確信していましたし、6節は、プロセスを経ながらいつかは天国に入ることができると喜びを持っています。
逆境の中で喜ぶ
私がインドネシアに研修に行った際に一人の牧師に会いました。彼は、愛の牧師と呼ばれている人です。彼は、元々は商社マンとして活躍していました。その頃の彼の信仰は、習慣として教会には通っていましたが、それだけのものでした。そんな時に、急に牧師から「あなたは、新しい場所で牧師になりなさい」と言われたのです。そこで、仕方なく彼は教会を片手間に始めました。そこで、神様は豊かに働いてくださり、多くの人が導かれたのです。それで、牧師に専念することになりました。このような良い調子の時に、彼に不幸が襲います。それは、他の牧師から「あの人は、私たちのグループを乗っ取ろうとしている」と噂を立てられてしまい、彼を牧師に命じた牧師から否任されてしまうということです。不幸は重なり、彼は病気になりベットの上の生活を7年間続けました。入院生活の間も、信頼していた人のほぼ全て裏切られ、人間関係を失いました。それでも彼は「その時は、一度も恨むこともなかった。ただ感謝していた」と言うのです。それはこの時も、イエス様は一緒にいてくれる。最後には天国に行くことができる。私は喜ぶことに十分なものが与えられているとイエス様に教えられ続けたからとおっしゃっていました。 この牧師は私たちの喜びが、環境によって定められていないと教えてくれます。常に喜ぶことができるのです。それは、イエス・キリストの恵みによってです。引き続き、この講解そ通して、喜びについて学んでいきましょう。
執筆:峰町キリスト教会 牧師 大角詩音
1990年栃木県宇都宮市で牧師の末の子どもとして生まれる。 東京基督教大学卒 関西聖書学院卒 現在は、峰町キリスト教会で牧師をする傍ら、
宇都宮インターナショナルクリスチャンスクール(UICS)で
常勤スタッフを務めている。
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