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  • 矢部晶宏

逆境を乗り越える秘訣


「逆境を乗り越える秘訣」イザヤ40: 28-31

病院に男が駆け込んできて、お医者さんに告げました。 「先生、数日前から全身のどこを触ってもひどく痛むんです」 「具体的にどう痛むんです?」お医者さんが問診します。 「腰を触ると痛いし、頭を触っても激痛です。腕を触っても本当に痛いんです」 「わかりました、診てみましょう」 お医者さんは患者の全身を一通り触診し答えました。 「症状がわかりました。あなたは指を骨折されてます」

これは笑い話ですが、私たちも物事がうまくいかない時、苦しい時、逆境の時、しばしば注目すべきところを間違ってしまいます。問題ばかりに目がいき圧倒されてしまったり、自分の中を見つめて欠点や足りない点に落ち込んでしまいます。人と比べて劣等感と優越感の間を行ったり来たりして疲れてしまいます。しかし世界のベストセラー聖書は、逆境乗り越える秘訣を教えてくれます。

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「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のないものには活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

イザヤ40:28-31

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今日の箇所は、歴史の教科書にも出てくるバビロン捕囚からの解放が背景にあります。1節の「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあるように、当時の苦しんでいる民に、そして今日の私たちに神様は慰めを与えてくださいます。 神様は自己紹介をされます。 イザヤ書40:28「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」 神様は永遠です。時間に縛られません。ですから、神様に知らないことはありません。神様は空間に縛られません。一度に一箇所以上のところにいることができます。そして神様はすべてを創造された全能の方です。ですから私たちの感情や思考がどう言おうと、私たちが神様の視界から外れることは決してありません。

1.倒れない秘訣

イザヤ40:29で、神様は疲れた者には力を、精力のない(弱い)者には活力を与えてくださると言います。40:30の「若者」と「若い男」という単語は、英訳では複数形で書かれています。本来、力がみなぎってるはず若い者たちが疲労困憊してバタバタ倒れています。困難や試練や苦難という強風に襲われたのでしょう。神様は、私たち人間は疲れやすく、弱い存在だとご存知です。 さて、疲労困憊にもかかわらず、倒れない人がいます。倒れてしまっても、また立ち上がる人がいます。どんな人でしょうか? 40:31の主を待ち望む人です。英訳では、神様に希望を置く人とあります。それは、私たちです。「待ち望む」の元々の単語の意味は「一つになる」という意味です。神様と心一つに生きる人は、「新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」「力を得る」の「得る」は、「交換する」という意味です。私たちの弱さや疲れを神様の力と交換するのです。だから鷲のように翼をかって上ることができ、疲れないのです。神様の力で生きるのですから、置かれた状況がどうであれ活力と希望と平安で満たされます。 鷲は、他の鳥のように一生懸命翼をバタバタさせて飛びません。必要な時だけ翼を動かします。風が来たら、翼を広げて風を利用して高く飛びます。 私たちは逆境や試練の嵐が来たら、あれこれ心配してバタバタしたくなります。しかし神様は「まず、あなたの心と思いをわたしに向けて、わたしを待ち望み、わたしから新しい力を得なさい。そして、あなたの翼を広げなさい。そうしたら、聖霊の力で、試練の風をも利用して、今までより高く上ることができる。以前は見えなかった景色が見えるように成長できる」とおっしゃります。神様に希望と信頼を置くこと、これが逆境を乗り越える秘訣です。

2.逆境に立ち向かう秘訣

逆境や試練は神様からの罰ではありません。私たちが犯してしまう罪の結果でもありません。「イエス様の十字架の死と復活は自分のためだ」と信じている人にはバチが当たりません。バチとは何か悪いことしたことに対する罰です。イエス様は十字架で私たちの過去、現在、未来のすべての罪や恥を背負い、私たちの代わりに罰せられました。イザヤ53:5-6「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」そして、よみにくだり、3日目によみがえり、罪と死の問題をすべて解決してくださいました。もし、私たちが直面する逆境や試練が、私たちの失敗や罪の結果なら、「イエス様の十字架は不十分です」と言っているのと同じなのです。 神様は私たちのことをどう思われているのでしょうか? イザヤ43:4 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イエス様は地上に来るまで、天において非常に富んでおられました。地球も宇宙も所持していました。でも一つだけ持っていないものがあったのです。それが私たちです。もし地上に生まれ、十字架にかからなければ、イエス様は私たちを失ったままだったんです。地上に来ることによって、イエス様は栄光を失いました。十字架に掛かることによって、一度も途切れたことのない父なる神様との関係を失いました。十字架上で、イエス様は文字通りすべて失ったのです。それが意味することは、イエス様にとって私たちは宇宙よりも価値があるということです。私たちは主イエス様の最大の宝なのです。イエス様がすべてを失ってまで手に入れたかったのは、私たちだったのです。しかもイエス様は私たちがまだ罪人だった頃、神様を無視して歩んでいた頃、イエス様に反抗していた頃、そのような大きな愛で私たちを愛してくださっていたのです。そして今この時もそのような大きな愛で私たちを愛してくださっています。 ですから、私たちが苦しみや困難に会う時にイエス様が助けてくださらないわけがないのです。もちろん愛するがゆえに、神様は私たちにしつけされます。それは良い大人になるように、親が子どもにしつけするのに似ています。でもそれはバチではありません。もし神様に罪を指摘されたら「その通りです。ごめんなさい」と告白し、神様の赦しを得て、前に進めばいいのです。 私たちは信じられないくらい大きな愛で愛されています。ですから、苦しいことがあっても神様を疑わず、主の力強い御手に支えられていることを覚えて、全知全能永遠の神様を愛し、従っていきたいと思います。

最後に星野富弘さんの詩をご紹介します。彼の作品は現在今世界中の人々に親しまれています。星野さんは中学校の体育教員だったのですが、クラブ活動の指導中に頸椎を損傷、首から下の自由を失ってしまいました。自殺まで考えましたが、聖書を通して神様の愛を知り、クリスチャンになりました。わずかに動く口に筆をくわえて文字や絵を描き始めます。神様から生きる力と希望をもらい、逆境に立ち向かっていったのです。星野さんは、事故に遭わなかったら、中学校教師としてごく平凡な生活を送っていたことでしょう。でも、詩画を描くことも、イエス様を信じ永遠のいのちと希望を得ることも、苦しみの中にいる世界中の多くの人々に生きる勇気と励ましと慰めを与えることもなかったと思います。星野さんは、神様の力で逆境を乗り越え、その経験から多くの人々に励ましを与える存在へと変えられたのです。 星野さんの詩の一部です。 「わたしは傷を持っている。 でもその傷のところから、あなたのやさしさがしみてくる」 「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった 。」 逆境の中でも神様を信じ、神様に希望を置き、イエス様との愛の交わりを通して、星野さんは人々に生きる勇気を与える詩画を描くことができたのです。あなたが今弱さを感じているなら、そのままでいいのです。神様は私たちの弱さに惹きつけられるお方です。本当に強い人とは、神の御前で自分の弱さを知っている人です。本当に美しい人とは、神の御前で自分の罪の深さと醜さを知っている人です。 あなたや私を愛するがゆえに、十字架で死んでくださったイエスキリスト。人類史上最初で最後死を打ち破りよみがえられたイエスキリスト。主イエス様により頼るなら、逆境の中に置かれても、私たちは必ずそれを乗り越えることができると聖書は今日も私たちを励ましてくれるのです。

執筆:峰町キリスト教会 宣教師 矢部晶宏

1984年、鳥取県鳥取市に生まれる。

ニュージーランド・カンタベリー大学 社会・政治学部 卒

JTJ宣教神学校牧師志願科卒。

海外生活中にネット配信の礼拝メッセージで励ましを受けたことをきっかけに、2011年大好きな峰町キリスト教会に導かれる。

現在峰町キリスト教会で仕える傍、ドイツ語圏宣教師として派遣される準備中。

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