2017.11/18 栃木EMFにて証
みなさんこんにちは。栃木EMFの代表をしています山本絵里です。
今日は私のEMFとの関わりの証をさせていただきます。
クリスチャンになった経緯
私は4人家族の長女として生まれました。 東京で生まれ、その後栃木県石橋町へ引っ越してきました。小学五年生までは石橋でのびのびとした子供時代を過ごし、小学5年生から宇都宮へ引っ越した関係で作新学院へ編入しました。
中学生になり作新学院中等部の頃、体調を壊したことが原因で成績を落としたり、いじめられる経験をしたことで、生まれて初めて毎日が辛いと感じるようになりました。「人間は何のために生きているのだろう。死んでしまいたい。」と考えるようになりました。母方の実家は皆クリスチャンだったので、その頃クリスチャンの叔父が私の状況を知ってか三浦綾子さんの本をプレゼントしてくれました。『道ありき』という本です。そして学校でもギデオン協会の配る聖書をもらい読むようになりました。すぐにイエス・キリストを信じました。
信じてすぐ教会を探し母と通うようになり、15歳のクリスマスに洗礼を受けました。三浦綾子さんが「病気の経験も神様に感謝しする。人の気持ちがわかるように神様からのプレゼント。」という考え、前向きに生きる姿勢に励まされました。またギデオン協会からもらった聖書の『落ち込んでいる時のために』と勧められているページを開いたときたくさんのみ言葉が私を励ましてくれました。
神様、全世界の造り主、そんな方が私の味方であるなら何も怖いものはない。そう思うと自然に学校での態度も毅然としたものになったのだと思います。いじめがいがなくなったのか自然といじめはなくなりました。中学卒業の頃には晴々とした気持ちで卒業式に臨んだことを覚えています。
医師を目指したきっかけ 高校生になり、クリスチャンとしてどのように世の中のお役に立っていこうか、どんな仕事につくか、そんなことを考えていた時期にたくさんの伝記、偉人伝を読んでいました。その中にあった一人の生きかたに感銘を受けました。アルベルト・シュバイツァーという方です。シュバイツァー博士はドイツの出身ですが、遠くアフリカの地で医師としてまた宣教師として活躍された人物で、その他にも音楽、思想の分野でも功績を残し、ノーベル平和賞も受賞された、まさに偉人といった人物でした。私もこんな風に人を助ける仕事をしたい。そう考え医師になる道を志しました。
医師になってからの困難 受験や、医学生となってからも勉強の毎日でしたが、人を助ける仕事に就くその一心でなんとか乗り越えてきました。そして念願叶い医師になることができましたが、そこからは多忙の日々でした。日曜日に教会へ行けない。当直でヘトヘトになり祈れない。救急で心臓マッサージをしながら年を越す。そんな日々が2年半ほど続き、私は心身ともにどっと疲れを覚えていました。「もうこの仕事を続けるのは無理なのではないか」燃え尽きそうになっている自分を感じていました。 疲れ果て仕事に取り組む元気がない、自分の悩みを分かち合える仲間はいないだろうか。仲のいい同僚はいましたが、信仰の悩みや日曜日に教会へ集えない辛さはどうしても分かち合うことはできませんでした。
EMFとの出会い そんなとき知り合いを通じてEMFの存在を知りました。お茶の水の関東祈祷会へ出席するようになり、たくさんの医師、看護師として働くクリスチャンと知り合うことができました。そして彼らも多忙な労働環境や、命と向き合うプレッシャーに葛藤を感じているのだと分かち合うことができ、とても励まされました。私自身の葛藤や悩みを聞き、祈ってもらうと「もう少しだけ働いてみよう」そう思えるようになっていました。
そんな恵みに満ちたEMF関東祈祷会でしたが、栃木から東京で開催される祈り会へは行けないときも多く、何とか参加する方法はないかと考えていた折、仲のいい医師の友人が自治医大へと転勤となり、この機会にと栃木EMFを創設することになりました。栃木県には自治医科大学病院、獨協大学病院、国際医療福祉と医療系の大学が多いこと、その中で自分と同じ葛藤を抱えている若い医師、看護師も多いのではないかと考えたことがきっかけとなりました。予想通り需要は多くあり、たくさんの医療に関わる神の家族と支え合う場所である、この働きを始められたことを神様に感謝しています。
その後、結婚、出産を経験ししばらく活動からは離れていたのですがなぜか急に働きへ参加する道が開かれ夫とともにこの活動にまた関わることができています。
EMF活動から受けた恵み
EMFとの関わりを振り返ると医師キャリアの始めからたくさんの恵みと祝福を受けてきました。特に思い出すことはフィリピンでの無医村ボランティアの経験です。医師のいないフィリピンの小さな村へ医療チームとして奉仕に行った経験は忘れられないものになりました。
それまでの私の海外経験はアメリカ、カナダ、オーストラリアと先進国への旅行だけでしたので、フィリピンの田舎の暮らしは180度世界観を変えるものでした。日本では治る病で命を落とす子ども達。1日20円で生活をし、コーラとチップス以外に栄養源のない子どもが朝から晩までサトウキビ畑で働いている姿。そんな学校に行かずに過ごす子ども達を教会が集め、読み書きを教えている忘れられない光景です
「自分一人の力では世界は変えられませんが、手の届く方の助けにはなれる。」そのような実感もこのキャンプから感じました。それが今までの医師生活、また最近の両親との医院開業まで自分の中で結びついているように感じるのです。
”置かれた場所で咲きなさい”
ノートルダム清心学院の理事長を務めた渡辺和子さんのお書きになった本の有名なフレーズです。私にとってそれは医療での地域貢献だと感じています。 多くの方の祝福の源になっていきたいそう祈る毎日です。
寄稿
山本 絵里
獨協医科大学医学部 卒業
医学博士
内科認定医 高血圧専門医
日本医師会認定産業医
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