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執筆者の写真鈴木孝紀

「『以前』と『現在』の私たち」(2020.1/18栃木EMFにて)

 みなさん、こんにちは。新年1回目の栃木EMFとなります。今年も主にある愛によって、互いに愛し合う交わりを目指して行きたいと思います。さて今回は、1ペテロ1:13-16からみ言葉を味わって行きましょう。 **

ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。(1ペテロ1:13-16)

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 ペテロは14節で「無知であったときの様々な欲望に従わず」と語りました。この「従わず」という言葉は、ローマ書12章2節の「この世と調子を合わせてはいけません。」の「調子を合わせていけません」と同じ言葉です。この世の価値観に従うのではなく、神によって生まれ変わった者として生きなさい、という勧めの言葉です。 1980年、ビートたけしの「赤信号みんなで渡れば怖くない。」という言葉が流行語となりました。「たとえ禁止されていることでも『みんなでする』なら、心理的なハードルが下がる。」という意味です。すでに死語(という言葉も”死語”)でしょうが、言わんとしていることは現代でも通ずるでしょう。


 当時のクリスチャンも決して大多数の存在ではありませんでした。異教の地で信仰を持ちながら生きていくというのは、決して簡単なものではありません。彼らは「クリスチャンである」という理由だけで悪口を言われたり、あらぬ噂を流されたりする、という迫害を受けていました。日本でも江戸時代、キリシタンに対する迫害の中にあの有名な「絵踏み」があります。イエスや聖母マリアの絵が描かれた板を踏ませて、クリスチャンか否かを分ける。そうやってクリスチャンを弾圧する時代もありました。 大多数の流れに合わせて自分の立場や生き方を変えることは、比較的容易にできます。しかし神様が求めているのは、周囲ではなく神様の基準、価値観に自らを合わせることです。


 また「以前あなた方は無知であった。」と、ペテロは教会の人々に言いました。ここでペテロが「無知」と言っているのは知識的な意味ではなく、イエス・キリストを信じていないという意味です。同じような表現では「あなたがたは、以前は暗やみでした」(エペソ5:8)や「あなたがたは、以前は神の民ではなかった」(1ペテロ2:10)という御言葉があります。私たちの以前の立場は「神を知らない者」でした。光であるイエス・キリストを知らなかったからこそ、暗闇を歩かざるを得なかった。それが以前の私たちです。


 しかし、今はそうではありません。エペソ5章8節「今は、主にあって、光となりました。」。1ペテロ2章10節「今は神の民であり、今はあわれみを受けた者」。私たちの立場はすでに変わっています。すでに神の民であり、世を照らす光であり、聖なる者という立場に移されました。ペテロも他の使徒たちも、ただあーしなさい、こうしなさいとは語らず、必ず「今の立場」を確認した上で勧めをしています。もし立場を確認することなく「聖なる行いをしなさい。」とだけ言ってしまったら、そこには義務感や強制的な力しか生まれないでしょう。



 私たちは「今の立場」を確認することで、神様の恵みと憐れみを何度も味わえます。ビフォーアフターを知れば知るほど、それがどれほどに劇的なものだったのか、そこにはどれほどの神の愛が溢れていたのか。そのことを知ることができます。それは私たちの内側に喜びと感謝を生み出し、また終わりの日に必ずやってくるイエス・キリストを待ち望む信仰を与えます。13節「あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」とあるように、イエス・キリストを信じる者として歩み続けましょう。この1年もこの世と調子を合わせるのではなく、共に神に合わされて行きましょう。

執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀

1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ

宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒

峰町キリスト教会牧師

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