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執筆者の写真鈴木孝紀

5月活動、近況、メッセージ

近況

栃木EMFは新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、3月活動より集会を自粛していました。この期間YOUTUBEでのメッセージ配信や、ZOOMでのオンラインミーティングなど様々な実施方法を試行錯誤していました。

現在はZOOMを利用してのオンラインミーティングでの活動継続をしています。


新型コロナウイルス感染症の流行がいち早く収束し、罹患し闘病されている方々に回復と平安があり、医療関係者の皆様に主の豊かな励ましがありますようにお祈りしています。


分かち合いの様子





5月メッセージ

峰町キリスト教会 鈴木孝紀牧師

1ペテロ2章1-3節より

 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。


 みなさん、こんにちは。全国各地で緊急事態宣言が解除され、各教会での礼拝が再開したと思われますが、医療に携わるみなさんにとって「気軽に集まれる」状況ではまだありませんね。

 栃木EMFも継続してオンラインでの交わりになります。


 さて、本日は1ペテロ2章1-3節を開いてください。先月1章を終えて、今回から2章になりました。今日はこの箇所から「霊の乳を求めなさい」というタイトルで御言葉を取り次がせて頂きます。


ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。(1ペテロ2:1-3)


 ペテロが1章の22節で「互いに熱く愛し合いなさい」と、教会の人々に「兄弟愛の勧め」をしました。その理由として「あなた方が新しく生まれたのは、朽ちない種、生きた、いつまでも残る、神のことばによってなのだ」ということを挙げています。ペテロがこのように言ったのは、「互いに愛し合うことは、人間生まれつきの性質ではない。」ということを理解させるためでした。

 私たちは道徳の授業や親から「人を大切にすること」「人を愛すること」の素晴らしさを教えられます。また昔から聖書に親しんでいる人にとって「他人を愛すること」は、当然のことように思えるでしょう。

 しかし聖書は、アダムの犯した罪が今の私たちにも受け継がれている、と言っています。ローマ5章12節「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──」。

 神様が最初にデザインした人間関係には、「互いに愛し合うこと」が当然織り込まれていたでしょう。しかしながらアダムとエバの罪以降、人間関係において他者を愛することは「当然、普通、当たり前」のことではなくなりました。

 だからこそペテロは2章1節で、教会の人々にこう語ったのです。「ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨て」なさい、と。


 「悪意」「偽り」「偽善」「妬み」「悪口」は、愛し合うこととは正反対のものです。22節で「互いに熱く愛し合いなさい」ということを妨害するのが、1節に挙げられている罪たちでした。

 これらの罪はコミュニティを健全な状態から、不健全かつ破壊的な方向へと持っていきます。内側に抱えているものは、必ず行動として表へ出てきます。不自然な言動や距離感、はたまた陰口に噂話。本人がいない状態でしか言う事のできない「アドバイス」。いやですね。


 ペテロはそのようなものを捨て去って、「純粋な、霊の乳を慕い求めなさい」と語りました。意訳するなら「そんなことをする暇があるならば、霊の乳である御言葉を味わいなさい!」と言ったわけです。赤ちゃんがミルクを欲しがり、それによって成長するように、あなた方も御言葉求めてそれによって成長することを目指しなさい、と勧めているのです。

 申命記8章3節にも「人はパンだけで生きるのではなく、人は【主】の御口から出るすべてのことばで生きる」という有名な聖句があります。イエス様も悪魔との対決でこの箇所を引用しましたが、御言葉によって生かされるという体験は信仰生活を歩む上で欠かすことはできません。


 歴史上、聖書に親しんだ人々は多く居ましたが、今回2名の発言を引用したいと思います。1人目はヘレン・ケラーです。家庭教師のアンサリヴァン同様、ヘレン・ケラーも聖書に記された御言葉によって自身が生かされていることを実感していました。

 彼女の自伝にはこうあります。「聖書の中に発見した、まばゆいばかりの光をどのように説明すれば良いだろうか?何年も聖書を読むうちに、喜びと感銘は深まるばかり。聖書は、私にとって特別な愛読書となっている。聖書は、私に深い信念を与え、励ましてくれる。」

 もう1人は孤児救済の為に尽力したイギリスのジョージ・ミュラーです。彼は「祈りの人」と呼ばれていました。ジョージ・ミュラーは「今まで100回ほど聖書を通読したが、回数を重ねるごとに必ず喜びが増し加わる。繰り返し読むたびに、聖書は初めて読むような本となる。継続して勤勉に、毎日熟読することで、私は豊かな祝福をいただいてきた。」


 私が所属する峰町キリスト教会でも、4月からディボーションメッセージの配信サービス「デイリーマナ」が開始し、毎日御言葉を味わうことを勧めています。手軽に様々な情報にアクセスできる現代だからこそ、改めて御言葉を味わうことをお勧めします。

 「一流の人は食事に気を使う」という格言がビジネス書にはありますが、私たちはそこに「霊の乳」というメニューを付け加えましょう。御言葉は私たちの魂に活力を与え、そして成長させてくれます。まだSTAY HOMEが推奨されるこの時期を前向きに捉えて、御言葉に向き合う時間になればと思います。


*1日1章、御言葉からのメッセージをお送りしています。ご一緒に御言葉からの恵みを味わいましょう。

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