みなさんこんにちは。1ペテロの手紙も最後の章へと入ります。
今回を含めて残り2回となりますが、ともに御言葉を味わっていきましょう。
私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(1ペテロ5:1-7)
今日の箇所では「長老たち」と「若い人たち」への勧めとなっています。
長老とは、旧約聖書から登場する役割の一つです。似たような言葉に「監督」というものがありますが、おおよそ同義の言葉と考えて良いです。旧約聖書において、長老とは民のうちのリーダー的役割で、仲裁を行ったり教えたりすることが求められていました。この考えは新約時代にも適用され、1テモテ3章には「このような人を長老と任命しなさい」という勧めが記されています。
また「若い人」とは年齢的なものもあるでしょうが、信仰を持ってまだ浅い人を念頭に置いています。
まずは「長老たち」への勧めです。
「神の羊の群れを牧しなさい」……前提として、教会とは牧師や長老のものではありません。神のものです。従って好き勝手にしていいものではなく、神様から任されている羊を丁寧に教え導く責任が与えられています。強調しますが、牧師だけの責任ではありません。長老にもこの責任があります。
「心を込めて世話をしなさい」……この前には強制されてではなく、自発的に行いなさいとあります。最初の方は意欲を持って取り組めたのに、徐々にマンネリが起き、いつしかルーティーンワークになってしまう。もしくは役割を悪用し、自分の利得を求めて行動してしまう。どちらも戒められる行いです。
「群れの模範となりなさい」……長老とは支配者ではありません。もちろん牧師も支配者ではないのです。「ああしなさい。こうしなさい。言うことを聞け。」と命令することは、基本的にあり得ません。むしろ「群れの模範」となるように生活をしていかなければなりません。
海軍将校・山本五十六の言葉に「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」とありますが、この部分においては真実と言えるでしょう。
次に「若い人たち」への勧めです。
若い人たちへの勧めはシンプルで、「長老たちに従いなさい」というものです。長老たちが決定した方針や事柄に対して、「いや私はこう思う。こっちのほうが正しいから従わない」という姿勢を戒めています。もちろん盲目的に従いなさい、と聖書は語っていません。しかし信仰の浅さ故に納得ができない、ということもあるでしょう。納得ができないから従わないではなく、神によってその役割が与えられていると信じて従う、ということが求められています。
細かく見てきましたが、双方に対して共通していることは「みな互いに謙遜を身につけなさい」(5節)ということです。長老はその立場に自惚れず、常に神を意識してその役割を全うしなければならない。若い人は神によって任命されている人を尊重し、自分自身の経験や知識によって従うor従わないを決定しない。
どちらも神にある謙遜を身につける必要があります。5節「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」とあるように、神を前提としなければ真の謙遜には至りません。
6節でも「神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」と語られています。自分自身の立場を高めようとするのではなく、神様が状況に合わせ、必要な時に高めてくださる。これもまた神様の存在を認めなければ、至ることができない考えでしょう。
当然悩むこともあります。そのような時こそ7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神はあなたがたのことを心配してくださる」です。私たちがへりくだる相手は、我が儘で自分勝手な存在ではありません。私たちを力強く導き、常に私たちのことを考えてくださる方です。そのようなお方にへりくだることができるのは幸いなことでしょう。
私
たちは互いに謙遜を身に付けつつ、神様のご支配の中で愛し合うことを目指しましょう。それぞれに与えられた役割の中で、神の栄光が現されることを求めてこれからも共に歩んで行けたらと思います。
鈴木孝紀
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