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  • 執筆者の写真鈴木孝紀

御霊によって知る(2019.1/12栃木EMFにて)


 みなさん、あけましておめでとうございます。新しい1年も、栃木EMFは神の家族として互いに愛し合うことを目指してまいります。

 さて、昨年からヨハネの手紙第1を開いています。今回で3章が終わります。

 今日の説教箇所は3章19-24節「御霊によって知る」というタイトルで見ていきたいと思います。

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それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。(1ヨハネ3:19-24)

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1.内側からの責め

 まず19節で「それによって」とありますが、これは18節の「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」という神の兄弟姉妹愛を指しています。神の家族を愛することを通して、私たちは自分が真理であるイエス・キリストに属しているということを再確認することができます。

また19節の「神の御前に心を安らかにされる」という箇所は、別の訳だと「心に確信を抱く」という言葉になります。つまり神の家族が愛し合うことによって、自分たちの属する立場を知る。同時に、神の家族という救いの中に入れられていることを、「そうか」と確信するわけです。

 そしてこの確信は、外部と内部からの「責め」に対して影響を及ぼします。外部からの責めは、敵であるサタンから出たものです。旧約聖書のゼカリヤ書では、「彼を訴えようとしてその右手に立っているサタン(ゼカリヤ3:1)」とある通り、サタンは「ここが不完全だから、こいつは義を受けるに相応しくない。」とか、「こんな罪を昔行ったから、あいつは赦されない。」という風に、私たちを神にあれこれ訴えようとします。ヨハネの黙示録でも「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」と、サタンは呼ばれています。

 そして内部からの責めは、自分の心です。感情、と言い換えても良いでしょう。感情のパワーは、良くも悪くも大きいものです。もし感情によって、私たちと神様の関係が決まるのであれば、私たちは毎日まいにち振り回されなければなりません。感情が良い方向の時は、神様との関係も親密で最高な状態。悪い方向の時は、何か自分に欠けがあって、神様との関係が上手くいっていない。このような状態はある意味、自分の感情が神様のようなもので、感情の指し示すことが全てになります。

 しかしヨハネは「神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じ」だと言いました。つまり私たちの感情は、神様ではないということです。感情によってでは、神との関係は左右されません。神様と私たちの関係は、神様側が示してくださった自己犠牲の愛によって、成り立っているものだからです。

2.神との関係を御霊によって知る

 ここまで、私たちの感情やサタンの訴えによってでは、神様との関係を正しく把握することはできない、ということを見てきました。では何によって私たちは、神様との関係を把握することができるのでしょうか。それは、御霊によってです。御霊の働きを、聖書の何箇所かから確認していきましょう。

 まずローマ人への手紙では、「私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ8:15-16)」とあります。

父と子ども

 次に、ヨハネの福音書では、「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示す(ヨハネ16:13)」。

 エペソ人への手紙においては、「あなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。(エペソ1:13-14)」と書かれています。

 このように、御霊である聖霊を通してのみ、私たちは神様と今どのような関係になっているかを正しく把握することができます。もし神様との関係に疑問をもったり、不安を覚えたりしたとき。恐れから生まれた行いによって、その穴を埋めようとしないでください。

神の家族

 ヨハネが今日の箇所で、「兄弟を愛することによって、自分が真理に属していることを知る」と言ったのは、神に属している者は神の命令に従う、という結果の原則に基づいて言ったのです。神様との関係を維持したり、構築したりするために神の家族を愛しなさい、という意味ではありません。

「神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。」とあるように、私たちとともに神様が居てくださると理解できるのは、聖霊によってです。これは、私たちを謙虚にさせると同時に、神様を求めることにも繋がります。人は、自分1人でなんとかしたいと考えますが、しかし現実は、自分1人では何ともなりません。この点においても、神様側の助けなしでは知ることができないからです。だからこそ私たちは、「聖霊さま、どうぞ助けてください。」と祈り求める者でありたいと思います。聖霊は、助けを求める者に必ず手を差し伸べてくれます。なぜならイエス様が、私たちを助ける者として聖霊を与えてくれたからです。

執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀

峰町キリスト教会 牧師鈴木孝紀

1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ

宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒

現在、峰町キリスト教会牧師

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