みなさん、こんにちは。梅雨が明けたと思えば、真夏日の続く近頃、いかがお過ごしでしょうか。今日は、1ヨハネ3章1-3節から、「のちに来る希望」という題で聖書箇所を見て行きたいと思います。
** 私たちが神の子どもと呼ばれるために、・・事実、いま私たちは神の子どもです。・・御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。(1ヨハネ3:1-3) **
1. どんなに愛してくださったか 手紙の著者であるヨハネは、「愛の使徒」と呼ばれています。彼が書いたヨハネの福音書では「愛」という言葉が39回、3つの手紙でも同じく39回使われました。新約聖書全体でいうと282回で、ヨハネはその4分の1以上も「愛」という言葉を使ったわけです。彼にとって、「愛」というのは非常に大きなテーマであり、外すことのできないものだったことが分かります。
今日の箇所でも、まずヨハネは「父なる神からの愛」について語り始めます。1節「私たちが神の子どもと呼ばれるために、……、御父はどんなに素晴らしい愛を与えてくださったことでしょう。」 神の子どもというのは、クリスチャンに対するただの呼称ではありません。それは紛れもない事実であって、神から与えられた特権です。ヨハネの福音書では、「この方(キリスト・イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、……、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:12)」とあります。 「父なる神様は、一人一人を神の子どもにするため、私たちを神の家族とするために、素晴らしい愛を与えてくださった。」そうヨハネは、私たちに語ります。 では、父なる神の愛はどのような愛だったのでしょうか。子なる神イエスが示した愛とは「十字架の愛」ですが、父なる神の愛は「子を遣わす愛」でした。暗唱聖句でよく覚えられているヨハネ3章16節には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」とあります。
父なる神の愛は、子なる神イエスがこの世に遣わされた事によって示されました。その愛をヨハネは「どんなにすばらしい愛」と言ったのです。原語に近く訳すと「この世にはない愛」となります。確かにこの世にはない愛であり、異例中の異例です。父なる神が全ての時代にいる、全ての人々を救い出そうとして、子なる神を世に送り出した。しかも世は子なる神を拒み、十字架にまで掛けてしまうと知りながら。みなさんは、理解できるでしょうか。このような愛は、父なる神にしか示すことのできなかったものです。そしてこの愛によって、今も、これからも、人々は神の子どもへとされて行く。まさに奇跡的な愛、この世にはないすばらしい愛を、神は私たちに与えてくださったのです。 2. のちの希望 2-3節では、「キリストの再臨に関する希望」について述べられています。キリストが再臨されるとき、それは私たちクリスチャンにとって待ち望んだ希望の日と言えます。その日には、この目でハッキリと「キリストのありのままの姿を見」て、不完全である私たちも「キリストに似た者」と変えられることが約束されているからです。 パウロもコリント人への手紙でこう語りました。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(1コリント13:12)」
この世では不完全かもしれない。しかし、必ず完全にされる日がやってくる。だからこそ、「この望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」とヨハネはいったのです。これは、励ましの言葉です。失敗して嫌になってしまったり、何かに躓いて投げ出してしまったり、転んで諦めてしまった人々に、ヨハネは励まそうと声をかけます。「今、あなたは不完全かもしれない。しかし、必ず希望の日はやってくる。そのとき、あなたはあのキリストのように変えられるのだ。」「だから、神が清くあられるように、清い生活をすることを投げ出してはいけない。諦めてはいけない。必ず希望の日はやってくる。」 これが私たちへの励ましのメッセージです。 父なる神の愛によって、神の子どもとされた私たちは、子なる神イエスが再び来られるその日まで、希望を抱き続けたいと思います。この愛と望みは、私たちを今日も力強く励ましてれます。
執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀
1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ
宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒
現在、峰町キリスト教会牧師
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