訓練された消防士は、消火活動が終わった跡を丁寧に調べることで、どのように火が広がったのか。燃焼速度はどれくらいだったのか。火の出所はどこなのか、といった情報を突き止めることができるそうです。
今回の箇所は、使徒ヨハネがクリスチャンに対して「霊の出所を見分けなさい。」と語っている箇所です。どのように見分けるのか、見て行きたいと思います。
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1ヨハネ 4:1~6
愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。
イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。 子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。 彼らはこの世の者です。ですから、世のことを話し、世も彼らの言うことを聞きます。 私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。
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1.霊を見分ける
この手紙が送られている教会には、グノーシス主義(イエスが神の子であること、肉体を持って地上にきたことを否定するグループ)という異端的な教えが入り込んでいました。彼らは、一見すれば優れた意見や教えを語っていたということ。また「私たちには特別な知識が与えられている」と主張し、指導的な立場をとっていたことが分かります。その結果、教会には混乱が生じ、偽預言者、偽教師たちが幅を利かせるようになってしまいました。
ヨハネはそのような状況になっている教会に対して、こう語ります。1節「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものなのかどうかを、ためしなさい。にせ預言者がたくさん世に出てきたからです。」
私たちは「霊」という言葉をよく用いますが、「霊」には2種類存在することを忘れてはいけません。1つは「聖霊」、そしてもう1つが「悪霊」です。
聖霊は、イエス様ともう1人の助け主として、神から私たちに与えられたものでした。しかし悪霊は、3節にあるように「反キリスト(悪魔)から生まれた霊」です。その2つは、同じく「霊」ですが、出所は全く異なります。
ヨハネは、聖霊と悪霊を区別するのは「人となって来たイエス・キリストを告白する霊かどうか。」という点だと言いました。この点から考えると、グノーシス主義の出所は悪霊です。なぜなら「イエスは神の子ではなく、肉体も持っていなかった。」と主張しているからです。
昨今、クリスチャンと自ら主張しながら「イエスの復活」や、「十字架による罪の赦し」を否定する人たちがいます。彼らは、自らをクリスチャンと呼称しますが、彼らの主張も残念ながら、聖霊から生まれたものではありません。
私たちは日々、様々な情報や状況を目の当たりにします。その際、「それらが神からのものなのか」を試し、吟味しなければなりません。良い考え方、良い意見、良い表現、良い思想、良い制度、良いブーム、良い価値観。たくさん存在します。ですが、ふと考えると、神様がすっぽりと抜けている。そういったことが、多く存在するのが、いまの世の中です。
2.私たちは神から出た者です
私たちのアイデンティティ(自己認識)は、「神から出た者」です。そのことを保証するのは、聖霊です。私たちが、「主イエス・キリストが人となってこの地上に来て、十字架にかかり、死に、3日目によみがえられた。」、そう信じて告白できるのは、聖霊の力によってです。決して、悪霊によってでは告白することのできないことを、私たちは告白しています。
ある人達は、「そんな突拍子もないことは信じられない。」と言いました。あるクリスチャンは信じる以前、「そんな頭のおかしいことを信じられる訳が無い。」と言ったそうです。確かに、もっと耳心地の良い言葉は世の中に溢れています。
神様を抜きにして、「自分を愛せるようになろう。」と語る人々が居ます。神様を抜きにして、「あなたの人生は価値のあるものだよ。」と語る人々が居ます。神様を抜きにして、「癒しや赦し、慰め」の大切さを語る人々が居ます。そして、彼らの方が、私たちが告白することよりも、世間の人々に受け入れられています。
しかし、ヨハネはこう語りました。5節から「彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊を見分けます。」
使徒であるヨハネやパウロたちの語る言葉に耳を傾ける者は、神を知っている者です。彼らは人間ですが、その背後にいる父なる神を信じているからこそ、彼らの語る言葉に耳を傾けます。彼ら初代教会の人々が語り告げて来たイエス・キリストこそ、私たちの救い主です。
ですから私たちは第一に、与えられた聖書のみことばに耳を傾ける者でありましょう。神様は、聖書のみことばを通して、今を生きる私たちに語りかけています。それは励ましであり、時に戒めであり、何より最上の愛によって語られている言葉です。
執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀
1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ
宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒
現在、峰町キリスト教会牧師
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