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  • 執筆者の写真鈴木孝紀

すでにあなた方は(2018.3/10栃木EMFにて)


指摘している様子

 皆さんは、人を注意したり、誤っていることを訂正したりすることは得意でしょうか。他人を注意したり、誤りを指摘したりするのはとてもエネルギーを使います。注意する側がエネルギーを使って注意してみると、迷惑がられることも多々ありま​​す。ありがたいと受け取られるよりも、迷惑がられることの方が多いことを知っていると、なかなか一歩が踏み切れないですよね。

 さて、今日の箇所では、ヨハネがここまで注意をし、誤りを訂正していった流れとは一変します。一緒に見て行きましょう。

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子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。

小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです。父たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが、初めか らおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどま り、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。(Ⅰヨハネ 2:12〜14)

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1.手紙の目的

ヨハネが書いたこの手紙には、2つの目的があります。1つは、偽教師たちへの警告です。今日の箇所までの口調を見ると、非常に厳しい態度で偽教師たちの誤った考えを指摘していることがわかります。

 その指摘を要約すると、「あなた方は唯一の神を知っていると言いながら、神の家族を愛するという命令を守らない。だからこそ、あなた方は偽り者で、無知で、闇の中に居るのだ。」というものです。

 ヨハネの態度を見て、「いささか厳しすぎるのではないか」

教会

と思う方も居るでしょう。確かに伝え方には知恵が必要です。ただ感情に任せて、正しいことを怒鳴り散らしても、そこには無益な争いが生まれるだけでしょう。しかし、配慮と妥協は違います。キリストがどのような方なのか。キリストによって私たちがどう変えられたのか。だからこそ私たちはどうしていくのか。この点に関して、ヨハネは一切妥協しませんでした。

 当時の偽教師たちは、キリストが人ではなかった、という主張をしました。現代、この主張をする人はむしろ少ないのかもしれません。「キリストはただの人だった。」「復活は弟子たちが捏造したことだ。」「キリストはわたしたちの考え方・意識を変化させようとしたのであって、罪を購ったわけではない。」

 このような主張が、「私はキリストを信じる者、クリスチャンである」と、公言している人たちによってなされています。私たちは、そのような誤った考えに妥協をしてはいけません。すでに知っていることを捨ててはいけません。今、あなたが知り信じていることによって、私たちは救われているのですから。

2.すでに「〜したのです。」

 2つ目の目的は、「教会を励ますため」でした。偽教師たちによって混乱し、また乱されている神の家族を叱責するためではありません。彼らの立場を共に確認し、すでに受けている恵みをもう一度思い起こさせる。これが、2つ目の目的です。

 ヨハネは、教会の人々に対して、3つの言葉を贈ります。「赦された。」「知った。」そして「打ち勝った」です。これらの言葉は全て過去完了、つまり、「すでに赦されていた」「すでに知っていた」「すでに打ち勝っていた」という状態を表す意味となっています。

 ヨハネは、教会の人々の状態に合わせて、「子どもたちよ」「父たちよ」「若い者たちよ」と呼びかけます。まず「子どもたち」には、「主の御名によって、あなた方の罪が赦された」と言いました。主イエス・キリストが為してくだった十字架の

十字架

ゆえに、彼の名を信じるだけで救われる。当たり前だけれども、これを抜きにしては福音が始まらない。基礎の基礎、初歩の初歩が、「主の御名によって罪が赦された」ということです。

 私たちも、時々当たり前すぎて忘れてしまう時があります。主の御名によって赦されたのに、なぜか心に不安がある。信じたはずなのに、確信が揺らいでいる。大丈夫です。あなたの罪は、主の御名によって赦されました。

 子どもであった人も、様々な経験を経て、大人へと成長します。霊的にも成熟し、教会を支え続ける人々に対しては、「あなた方が、初めからおられる方を知った」という言葉でした。様々な経験をしていく中で、多くのことが流れ過ぎていきます。ともに信仰生活を歩んでいた友、家族も亡くなっていたかもしれません。しかしそんな中にあっても、変わらぬことなく、初めから居られ続ける神という存在が、父と呼ばれる人々の命を支えていた。ヨハネは、そのことを思い起こさせようと、手紙を書いたのです。

 若い者たちは、信じたばかりでもなく、しかし成熟しきった状態でもない。未だ成長途上で、途上だからこその悩みがあります。彼らは、信仰ゆえの葛藤、戦いの最中にあります。しかし、それでも信仰を守ろうとする人々を、「若い者たち」と、ヨハネは呼びかけて確認するのです。

 「あなた方が悪い者に打ち勝った」、これが若い者たちへのメッセージです。この悪い者というのは、「悪魔、サタン」のことを指しています。悪魔がクリスチャンを攻撃してくる目的は、キリストへの信仰を失わせること、熱く持ち続けている神への情熱を冷めさせること、誘惑で打ちのめし敗北感に浸らせることです。そのために、あの手この手で、クリスチャンを誘惑し、揺さぶり、転がそうとします。

 誘惑がない人生というものはありません。誰であっても誘惑を受けます。誘惑に応えなければ、全く問題がありません。しかし、そうは知っていても誘惑に屈してしまい、心にモヤッとした敗北感を覚えることもあるでしょう。

 ヨハネは、そのような人々にこういうのです。「あなた方は

父、子、若者

悪魔に打ち勝ったのだ。」現実ではそう思えません。失敗をする。誘惑に負けてしまう。しかし、「悪魔に打ち勝った」。これが私たちの霊的状態であり、キリストがあの十字架で死と悪魔に打ち勝ってくださったときに起きた奇跡なのです。ヨハネは「忘れちゃいけない。あなた方は敗者ではない、キリストにある勝者なのだ。」と、若い者たちを力強く励まします。

 皆さんは、今自分が「子ども」「父」「若い者」のどの状態にあると感じたでしょうか。どの状態にあっても、それぞれにヨハネが送った言葉を忘れてはいけません。私たちはすでに赦されています。私たちは、世界を創造される以前から存在する方を知っています。私たちは、あの悪しき者に打ち勝った勝利者なのです。

執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀

鈴木孝紀牧師

1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ

宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒

現在、峰町キリスト教会牧師

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