** 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。 1ヨハネ2:18-20 ** みなさん、こんにちは。今回は、1ヨハネ2:18-20から「精巧な贋作」というタイトルで、共にみことばを見ていきましょう。
1.精巧な贋作 今回の箇所では、キリストの教会に誤った教えを持ち込む反キリストという存在に、焦点が当てられています。この「反」という言葉は、そのまま「反対」という意味でもありますが、もう一つ、「代わり」という意味を持っています。つまり、絶対なる主イエスに反対するだけではなく、それに限りなく近い偽物と取り替える、という意味も込められています。 高価な美術品を扱う世界では、贋作、つまり偽物の作品が後を絶えません。技術的な部分を似せるのはもちろん、精巧な贋作になると、元の作品が作られたときの絵の具やキャンパスの木材や布を手に入れて、それで贋作を作るそうです。そして、闇市場に流し、人々を騙しながら、大金を得る人たちがいます。 精巧な贋作に騙される人々がいるように、精巧な偽の教えに揺り動かされ、そちらに流れていってしまう人々が多くいます。使徒ヨハネが手紙を書いていた時代にも、様々な反キリストが現れていました。これまでの手紙でも、偽教師たちの主張は度々取り上げられています。
「キリストは人ではなかったのだ」というイエスの否定や、「実は特別な人にしか教えられていない知識がある」という歪んだ特権階級を、彼らは教会に導入しようとしました。そして、そんな偽教師たちの主張は、非常に影響を与えたのです。もし、教会の誰一人として聞く耳を持たず、その教えを正していたのなら、ヨハネは手紙を書く必要はありません。しかし、現実はそうではなかった。教会の人々は、偽教師たちの教えに影響され、ある者は信仰を捨て去り、ある者は教会を分裂へ導こうとしました。
2.私たちにとって仲間とは 19節には、「彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかった」と書いてあります。これは、目に見える形の教会(地域教会)を出て行った人、を指した言葉ではありません。この箇所での「彼ら」は、クリスチャンであると自称しながらも、その実は、クリスチャン(キリストを信じる者、キリストに服従する者)では無かった人々のことです。そんな人物たちが、キリストを信じる者の共同体にいて、そして様々な問題を引き起こし、最後には教会から出て行ってしまった。 この手紙を読む人々は、「あ!あの人たちのことか。」と、すぐに悟ったでしょう。そして、苦い思いが湧き上がってきたでしょう。「なぜあの人たちは出て行ってしまったのか。」。きっと悪い人では無かったでしょう。むしろ人格的に優れている人や、能力に長けている人も居たでしょう。影響力を考えるに、教会で中心的に仕えていた人かもしれません。そんな人が、後ろ足で砂をかけるように去ってしまった。残された人々は、ただやるせのない気持ちと、どうにかできなかったのかという後悔に苛まれます。 ヨハネは、こう続けます。「もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょに留まっていたことでしょう。」 私たちが、仲間であるのかどうか。それを判断する基準は、同じ教会に集っているとか、同じ牧師の説教を聞いてきたとか、同じ洗礼日だとか、同じ趣味を持っているとかではありません。同じイエス・キリストを信じ、同じ神に従い、同じ聖霊が内側に宿っているかどうか、です。
パウロもエペソ人への手紙でこう言いました。「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」 たった1つの本物。主であるイエス・キリストに留まっているかどうか、この一点だけが、私たちを同じ仲間であり、同じ神の家族としているのです。それ以外のものは、どこまで行っても100%の本物にはなり得ません。ましてや、主イエスを否定するような偽りの教えは、どれだけ精巧に作られたとしても、本物である主イエスの足元にも及びません。 最後に、20節「あなた方には聖なる方(イエス・キリスト)からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。」とあるように、みなさんの内側にはイエス様を通して与えられた聖霊が宿っています。どうか聖霊が、私を含めたみなさんを守ってくださるように。神からの知識によって、精巧な贋作を見分けられますようにお祈りしています。
執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀
1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ
宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒
現在、峰町キリスト教会牧師
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