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執筆者の写真鈴木孝紀

大胆に恵みの御座へ(2018.8/18栃木EMF賛美集会にて)


 みなさん、こんにちは。一緒に、神様に賛美を捧げることができること嬉しく思います。全くの私事ですが、先々週までイスラエルに3週間ほど滞在していました。聖書に登場する地名に赴き、その聖書箇所を開きながら思いを馳せる。教会の礼拝に出席し、言葉は異なりますが同じ神様に礼拝を捧げる。1つ1つの経験がとても貴重で、良い3週間を過ごせたなと思っています。

 さて、今日は、ヘブル人への手紙4章14-16節を見ていきます。タイトルは、「大胆に恵みの御座へ」です。

**  さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4:14-16) 

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クリスチャンになってから

 私がクリスチャンになってから、今年で8年目を迎えます。短い信仰生活の中でも、神様との間で、また人間同士で様々な経験をしてきました。真っ先に思い返すのは、やはり神様を信じた日の出来事です。本当の神様、信じるべき神様、その対象がハッキリと分かった日。その日がなければ、今のような生き方をしようとは考えもしなかったでしょう。今でも嬉しいです。あの日が始まりで、私にとっての原点でした。

冬の風景

 そのほかにも、自分の罪が赦されたということが、グッと腹に落ちた日。この日も忘れがたいものです。あの二千年も前の十字架が、現代の、今の私の為にあったのだと理解した日。この経験も、とても大きなものでした。 そしてここ数年、私はもう1つ強く思わされることがあります。それが、「私はイエスを通して神様のもとへ近づける」ということです。  思えば、イエスを信じる前、私は神様からは程遠い人間でした。今のように神様を意識することさえなく、神という単語は「それマジ神じゃん!」というような、人間を褒めるための言葉にすぎませんでした。私にとって、神様という存在は遠く離れたもので、関わりもなく、聖書のいう愛する、愛すべき存在ではなかったのです。  しかし、今では違います。あの大祭司であるイエス様が、父なる神様と私の間を取り持ってくださった。繋げてくださった。その結果、もっとも遠かった存在が、近しい存在へと変わった。どこか遠くの、ぼんやりとしか感じられない。あの辺にいるのかな?この辺にいるのかな?そんな程度にしか思えなかった神様が、今では人生の中心であって、人生を支配してい

ささげ物

て、この方について行くことがどれほどの喜びなのか。そのことを日々、教えられるのです。

 「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」このことが可能なのは、偉大な大祭司であるイエス様が私たちのために居てくださるからです。むしろこの方を抜きにして、神様に近づくのは無理です。たとえ、静寂の中にあっても、感情的にハイになっても、熱心さがあっても、楽しかったとしても、この方を抜きにして神様に近づくことができません。

恵みの御座へ  今日、私たちは恵みの御座に近づきましょう。何はともあれ、神様の元へ近づいていきましょう。この賛美集会、私はそれを求めたいのです。一人一人、バックグラウンドも今抱えている問題も、事情も異なりますが、しかし、大胆に恵みの御座に近づきたい。ともに神の家族として、あの偉大なる大祭司イエス様を通して、父なる神様に近づきたい。そう思います。

執筆:峰町キリスト教会 牧師 鈴木孝紀

鈴木孝紀牧師

1991年栃木県宇都宮市で、3人姉弟の末っ子長男として誕生 宇都宮大学生1年次に信仰を持つ

宇都宮大学 工学部情報工学科卒 関西聖書学院卒

現在、峰町キリスト教会牧師

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